🐏のねごと

ここに書いてあるのは大体ねごとだと思ってください。

就職活動の振り返り

気付いたら3日も更新が空いてました。時は残酷ですね。

昨日は「西洋美術を味わう」という一般教養科目のレポートを出しにITセンターと教務センターに行ったんですが、今考えれば恐らくこれで少なくとも学生としてITセンターと教務センターを訪れるのは最後でしょう。こういう小さな気付きにこそ学生生活の終わりを感じさせられて秋風落莫の思いは強まるばかりです。詩的で素敵な一体感で自画自賛

 

それはさておき、今回はタイトル通りぼくの就職活動について振り返ってみたいと思います。とりあえず、ぼくがどんな感じで就職活動を始めて、それがどう終わったかまでの年表を覚えている範囲で書いていきます。就活中の人orこれから就活を控えている人は読まない方が良いかも知れません。警告はしましたからね!?

 

 

①2018年7月

就活を終えた友人たちの様子を見聞きし、「帰国してから始めれば良いや」という楽観的考えに危機感を覚えて浅いリサーチ(笑)を始める。とにかく営業へのバイアスが強く、BtoCメーカー(食品)のマーケターになりたいと考える。要らないメアドでリクナビ等の就活サイトを複数登録するが、どこも20年卒向けの選考を開始していなかったので、SPIの勉強を始めつつどんなことをしたいかたまに考える日々を過ごす。この時から既に大手志向であった。

※なお、SPIの勉強は1ヶ月で自分の理解力に限界を感じ諦める。

 

②2018年12月

どうせ働くなら給料が高い外資系が良いと偏差値30のくせに公立進学校に合格できると自分を信じて疑わない中学生レベルの夢を見る。

オーストラリアに滞在中ロレアルのESを出す。後にWebテストでお祈りを受ける。

P&Gのオンラインテストを受検し、至極当然お祈りを受ける。(まじで解けなかった)

 

④2019年2月

当時第一志望だったネスレ日本の採用が始まり、一次選考の課題に頭を抱える。同年代の卒業旅行に同行するものの、課題の期限当日であったため仙台のホテルで泣きながら作業して何とか期限内に提出する。無事通過し3月に初の面接を控える。

また、この頃に化粧品業界にも本格的に興味を持ち始める。

 

⑤2019年3月

一般に就活解禁とされている3月1日にネスレ日本の面接を受けるため神戸へと向かう。

マイナビの就活イベント帰りであろう就活ビギナー生を見ながら、(俺はもう面接だぞ)と優越感に浸る。そして面談に臨むも、「まずは自己紹介をしてください」という人事の問いかけに対しえ、性格とかですか?と初手逆質問をかまし無事お祈りされる。

 

流石に反省していたみたいです。

 

一週間ちょっと経ってめちゃめちゃ恥ずかしくなりネタにしようとしている様子。

惨めですね。

そして、化粧品業界大手の中で最も早く採用を始めたPOLAにエントリーしESが通過する。

 

⑥2019年4月

POLA会社説明会+筆記試験を受験する。国数英のどれもが高校レベルで、特に数学は最初の四則演算以外に分かるものがなくお祈りを覚悟するも何故か通過。一次選考(GW&人事面接)に進む。

GWでは、グループのアイスブレーキングとして「最近気になったニュースを発表する(何でもok)」という指示を受け、トップバッターだった自分は好きな海外のバンドの活動再開を嬉々として話したが、周りの高学歴メンバーたち全員に事故や皇族、環境問題など高尚な話を容赦なくぶち込まれるという裏切りに遭う。死ね

人事面接では、ネスレ日本での反省を活かしそれなりに土台を考えてきたため手応えを得られる。何とか通過して部課長面接へと進む。同時に化粧品業界を主軸に据えることを決意する。

※この時、後の内定先になる大手企業も採用を開始していたが、POLAに就職する気でいたのと、動画課題の煩わしさを嫌いエントリーを見送る。

 

⑦2019年5月

POLAの部課長面接を受けに東京へ行く。コトが予想以上に呆気なく進んでいたせいか完全に油断しており、あろうことか面接前に東京都美術館にて開催されていたクリムトを観賞する。面接が人事部長、営業部長、ブランドマネージャーの3人を前に「無題の絵にタイトルを付け、その理由を3分間でプレゼンする」という訳の分からない課題から始まる。ブランドを創りたいと主張した自分に対しブランドマネージャーのBBAから「どういうブランドを創りたいのか」と聞かれ、何故か考えていなかったために即興で答えるも恐らく看破されお祈りを受ける。すっかりPOLAに就職する気だったので深い絶望と虚無感に襲われる。ここから少しずつ精神が浸蝕されていく。

その後、コーセーと宝酒造にエントリーする。

 

⑧2019年6月

コーセーと宝酒造の両方とも順調に選考を通過していくが、どちらも最終面接でお祈りを受ける。宝酒造に至っては最終面接当日の段階で提出予定の履歴書を書き切れておらず、10分の遅刻をぶちかます

ここから自分の就活史上でどん底を味わう。志望業界内の大手企業はほとんど一期採用を締め切っており、二期採用も未定の状態だったので所謂持ち駒を失った状況となりとてつもない不安に襲われる。化粧品業界の中小企業(ナリス、ピアス)にエントリーするも、どちらも書類でお祈りされる。これまで馬鹿にしてきた就活サイトからの招待メールに縋ってオービックとかいう訳の分からない会社を受けるも秒速でお祈りされる。

そんな中、6月17日に内定先となる企業の二期採用が始まる。募集職種は営業であったが、藁にもすがる思いでかつて調子に乗ってこき下ろした動画課題の提出に全力を尽くす。ちなみに課題の内容は「目の前で泣いている女の子を笑顔にする方法を60秒で教えてください」というようなもの。なんだそれ。

 

⑨2019年7月

Web適正検査を受けていなかったことをバイト中に思い出し、いつもより5分早く退勤させてもらった結果、締め切り数分前の滑り込みに成功する。書類審査に合格し、一次面接を受けるため二度目の東京へと飛ぶ。

人事の方と1:1での面接だったが、学生生活の話やその会社でやりたい事、その理由など終始オーソドックスな内容だった。この頃には流石に後がないと予感していたため、東京についても大学のキャリアセンターにこもり面接対策を考えるなどの成長を見せる。「自分の個性を表す服装」と指定があったため、わざわざキャリアセンター内で着替えた。LIBERUM19SSのクロップドスラックスとTシャツに、アディダスのNMD CS1 PKで臨んだ。

落ちる気がしていた訳ではないが、理由が自分の中で明確でないながらも通過し最終面接に進む。

 

⑩2019年8月2日(金)

東京にて最終面接を受ける。応接フロアの中にあるガラスで仕切られた簡易的な会議室で、人事部長と営業部長相手に最後のshit(比喩)をspit(比喩)しmy man(比喩)となる。面接後、「らーめん 鴨 to 葱」に行くため御徒町へ向かう電車に乗っていると18時半頃に人事部からの電話を受け取る。車内にいる旨を伝えて、30分後に掛け直してもらうことをお願いする。直後御徒町に到着したものの、緊張でラーメンを思い出せるはずもなく近くにあった「BECK'S COFFEE SHOP」に入り着信を待つ。19時に着信があり、そこで内々定の連絡を受け承諾し就職活動が実質終了する。

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御徒町駅近くのBECK'S COFFEE SHOPのレモネード

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らーめん 鴨to葱のラーメン。美味しかった。

 

こんな感じでした。途中明らかにふざけてますが、大真面目に自分の就活を他人に公開するのがどんどん恥ずかしくなってきたので目を瞑ってください。

 

それで、振り返る訳なんですが、結論から言うとぼくの就活が上手くいったのは全て周りの人のおかげです。内々定の電話をもらった時、やっと終わったと思うと何も考えられなくなって、しばらくカフェで虚空を見つめていましたが、じわじわと自分がこれまでどれだけ多くの人に支えられてきたかが走馬灯の様に脳内を駆け巡ったんです。感謝の気持ちというやつですね。不思議なことに今の今まで忘れていたんです。受験の時も同じような経験をしていたはずなんですけどね。

ただ、正直に言いますけど、これは自分の納得のいく結果を得られたからこそですね。実際、ネスレ落ちた時もPOLA落ちた時も相当ショックでしたし凹みました。それまで歯牙にもかけていなかった中小企業に書類で落とされた時なんて、みん就「未だに内定もらえない人」掲示板を見て精神を保とうとしていたくらい追い込まれていましたから、仮にこれで自分の気持ちに折り合いがつけられないような結末だったら間違いなく拗らせていたと思います。学歴コンプレックスみたいに。

その上で、ぼくが正しかったと自信をもって言えるのは、納得するまでやりたい事を考え抜き、それに固執したことです。それが例え経験したことのないことでも、「どうしてそれに挑戦したいか」という思いが重視される傾向にあると感じましたし、そもそもバイト以外で働いたことのある学生なんて居ません。ぼくの場合はマーケティングですが、その実やりたいのは市場分析とかではなくて単なる企画でしたから、だったら営業で現場のこと知らないとどのみち企画でも成果は出せないなと自分を納得させました。

ぼくはっていうか人類の9割はそうだと思うんですけど、まず働きたくないんですよ。昔から今まで一度たりとも働きたいと思ったことなんてありません。で、ぼくは更に、働きたくないのに働くために何故しんどいこと(就活)をしなきゃいけないのかって考えてしまって、本当にずーっと就活から逃げていたんです。オーストラリアで日本語教師をやろうと思ったのも就活から逃れるためですからね。矛盾してますけど。

しかしまあ結局は向き合わなきゃいけない時が来るじゃないですか。それでも尚ぼくは「労働」という前提をなるべく打ち崩したかったんです。だから、自分にとって興味が持てるor楽しそうな仕事を探すことから始めたんですね。それがマーケティングであり、食品・酒・化粧品メーカーでした。最終的にこれは化粧品/高価格帯/ブランド企画といった形に具体化されていき、それに伴って面接での受け答えもしっかりと出来るようになっていったと記憶しています。逆に、労働を仕方ないものとして完全に割り切れる人は、選定基準を給与であったり働き方であったり、その考え方に応じた最適なものに変えるべきでしょうね。ぼくには出来ませんが。

それと、一見不条理に思われる現行の就活のシステムにも助けられた側面は確実にあります。それこそぼくみたいなチンカスが何とかなったのは、その不条理さのおかげでしょう。結局のところ、誰かが不条理で割を食う時、他の誰かは得してるんです。そしてその不条理を最も被りやすいのが皮肉にも「本当に優秀な人材」なんですね。よく就活の面接は不要だ、とか、純粋な能力だけで評価しろ等と宣う人間がいますけど、そういう奴に限って完全実力主義の下では排斥される側だったりするので、そう考えると就活にいちいち文句をつけていた自分が浅はかだったなと思うのです。まあ、不要なものは確かに存在していますが。

 

あとは、「この会社で良かったのか」というのは、今後のぼくが判断することですから触れませんけど、万が一いつか未来のぼくがこの記事を読む日が来る時のために念押ししておくと、ぼく(あなた)はこの会社しか受からなかったし、この会社で良いと思って内々定を承諾したんですからね。ぼくのせいにしないでくださいね。

 

まーたバカみたいに長くなっちゃいましたよ。

とにかく、これから就職活動を迎える全ての人が納得して終えられることを

お祈りしております。^^