🐏のねごと

ここに書いてあるのは大体ねごとだと思ってください。

4年目の春、時を重ねて思うこと。

入社した当時は、自由な服装で自由な時間にキラキラ働くぞ~、と、思ってなかったこともなかったのですが、岐阜4年目という歳月はあまりにも長すぎた…

仕事なんて脳死で全身洗えるユニクロスーツ以外着る必要も意味もないし、ただ単にひたすらサボり続けることで仮初の自由な時間を生み出すチンパンジーと化してしまった。

 

我が人生は闘争。そう尖っていた自分はすっかり鳴りを潜め…、いやそんな自分は昔から居なかったですね。かっこつけちゃいました。

 

常日頃辞めたいと言っているぼくですが、実を言うと昨年末は転職活動も意外にトントン拍子で進みまして、そこそこの企業の最終面接までこぎつけることができたんですよね。まあ先に内定出してた人がそのまま承諾したとのことで落ちてしまいましたが。

職歴・スキル皆無のちんちくりんが社格を落とさず転職なんて簡単にいく訳がないのですが、そこで一度モチベーションががくっと下がってしまって、今はこれまで通り日々を無為に生きています。

 

何なら、週の半分は昼まで寝ていられる今の環境がぬるま湯すぎて、「このままで良いのではないか」と思ってしまう程にぼくは堕落しています。昨年の秋頃はマジで忙し過ぎて本気で病んでましたけど、逆にそれを経験してからは通常業務程度では焦りも生まれない無敵の社会人になってしまった気がします。

あとこれは大いに関係していると断言できることがあって、それは先輩の退職時に半ば無理やりサビ残パワハラについて告発させたことで上司のぼくに接する態度がどえらい丸くなったんですよね。

詰められることも全く無くなって、とっても快適です。ありがとう出口さん。

上司ぴにとっては、扱いにくい部下だと思っているやも知れませんが、こちらとて思いは同じなので、お互いガチャ外した同士適度な距離感でやれたらそれが一番ですよね?

 

それにしたって営業で居続けることは非常に嫌なので、今は社内転職を当面の目標としています。だがまだ何も動けていない。それはつまり本心ではこのぬるま湯環境を手放したくないのではないか…、最近はそんな考えが堂々巡りしています。

ここで言う「ぬるま湯」というのは、今のぼくの環境を指しています。この会社の営業の業務なんて中学生でも出来ることしかありませんから、世間一般の会社からしたらはなから「ぬるま湯」なんですよ。だから今ぼくが言っている「ぬるま湯」は、「ぬるま湯」の中の「ぬるま湯」で、それはつまりとんでもない「ぬるま湯」なんですよね。

(だってそもそも、昼過ぎまで寝れてるとか、有り得ん程寝坊してても大したペナルティないなんておかしいじゃんね?)

 

一時はこの会社に居続けたら何も出来ないまま老いて、ここ以外通用しない人材になるなんて焦りもありましたけど、よくよく考えてみたらそれって、これから先もそれなりに仕事で活躍したい人の思考だと気づいたんです。ぼくの思考原理は働きたくないという一点に尽きるので、その焦りって自己矛盾してるんですよね。社会で活躍したいなんて1mmも思っていませんし…。

 

加えてもうひとつ大事なことを言うと、ぼくは自分で自分が無能だと自覚できているんですよ。つまりそれは、ぼくが今こうして会社に不満を持ちながらも、同時に救われていることを認識しているということです。無価値な会議、無価値な資料、無価値な業務に囲まれることでぼくは己の存在意義を担保されていると感じています。仮に全てが真なる価値を追求される仕事に就いたとしたら、その世界のスピードにぼくはついていけないと確信しています。

ついてゆけない自信がある。

 

それでも尚、開き直り切れないのもまた本音なんですよね。

やっぱ話の通じねえババアにエネルギー吸い取られたくねえし、しょうもねえことで一々拍手したり、やりたくもねえ飲み会の幹事を俺に押し付ける様な昭和的価値観も、休日に平気で「休みにごめん」と連絡が飛んでくる常識の無さにももううんざりしているんですよ。

それらを飲み込めたら、と思いますけど、少なくともこの会社で営業やらされてる以上は無理なので、心が死ぬ前にアガらなきゃいけないですね。

本当に。