🐏のねごと

ここに書いてあるのは大体ねごとだと思ってください。

寂寥、暗澹たる人生

会社のひとつ上の先輩が7月末で退職した。

 

岐阜という辺境の職場で、唯一歳が近く、何でも話せる人だった。

だから先輩とはよく仕事の愚痴をこぼした。ムカつく上司への恨み言もたくさん吐いたし、くだらない冗談やネットミームを繰り返してはコンビニでよく仕事をサボった。

学生気分よろしく朝まで酒を飲んでは、毎度泥酔して奇行に走り酔い潰れる先輩を介抱した。

「こんな仕事、さっさと辞めるべきだ」とお互い自嘲気味に言い合っては、深夜まで児戯上等な作業にサービス残業を重ねていた。

 

そんな先輩が、本当に退職した。

冗談半分で受けた面接がとんとん拍子で進んだようで、そのまま転職を決めた。

もちろん事の始まりも、途中経過も、話はずっと聞いていたけれど、どこか現実味が無くって、最後の最後まで居なくなるとは思えなかった。

いや、分かっていたけど、分かっていないフリをしていただけだった。

 

先輩は色んな人に好かれていたし、慕われていたから、たくさん送別会があった。

ぼくとは正反対で、職場で事あるごとに生まれる昭和×体育会系の悪魔合体的なキツいノリの中でも、しっかりと求められる役を演じ切れる「スゴい人」だった。

 

…なんだか、さも冷笑しているかの様にも捉えられてしまいそうな書きっぷりだけど、何も出来ないくせに自分を殺すこともせず、自尊心だけが肥大化した人間とは比べ物にならない程コミュニケーション能力に富んでいるし、社会人として正しいと素直に思う。

そしてその痛みも同時に知っている人だから、後輩に決してそれを強要することはなかった。だから尊敬していたし、仲良くして欲しい、したいと思えた。

 

8月に入り、うだるような…などでは到底表現出来ない灼熱の日々で、ぼくは先輩が居ない現実を何度も噛み締めては、飲み込めずにいる。

 

これまで、仕事を辞めたいと思うことは何度もあった。しかし先輩とそうした不満を一通り発散してしまえば、その気持ちは沈下して翌日を迎えられていたのだが、独りというのは本当に堪える。

 

本音を言える人が居ない訳ではない。職場の多くの人とは、主観ながら良好な関係を築けている。しかし、世代差なのだろうか、どうしても互いの価値観に明白な差を感じてしまう。そうすると、言えているつもりの本音でも、届くものと届かないものが相互に生まれる。つまり、僅かながらな齟齬が起きる。それは埃の様に塵積もっていき、気付けば大きな壁となってぼくの言葉を、相手の言葉を遮ってしまう。

 

当然のことだが、ぼくも先輩も互いに理解できないことは多々あった。しかしそれは、ぼくら世代…というべきか、ふたりの間に在る暗黙の常識の枠内に収まる内容だから距離を感じさせるようなことはなかった。(と、少なくともぼくは思っている)

 

ぼくは、自分自身でも居続けるべきではないと考える会社から見事抜け出し、自分の力で新たなキャリアを切り拓いた先輩を可能な限り明るく、笑顔で、何てことでもないように送り出すべきだと思っていたし、現実に受け止めていなかったのはそうした考えも要因のひとつだった。

だが、まだここで一緒に堕落していて欲しかったと、考えてしまう。そんな自分に心底うんざりする。

ぼくはただ先輩に同調して「辞めたい気になっていた」だけなのだろうか、そんなはずはないが、現実にそれを果たした先輩と未だ行動さえ起こしていない自分には天と地ほどの違いがあった。1と0だ。

このまま、尊敬できる人たちが先へ先へ往く様子を、ただ指をくわえて眺めては感傷に浸って己を慰め続けるのだろうか。

 

…悲観症が極まり過ぎているので、この辺でやめます。

 

回りくどい言葉を並び立ててそれっぽく言い表した気になってますけど、要は寂しいんですよね。加えて、one of the best friends の寿志也も、同じ時期に突然異動になってしまったんです。何故神はぼくから全てを一度に奪っていくのか。

 

別に二度と会えなくなるんじゃあるまいし、敬愛すべきマカえん理論で言うところの「心の関係」があるなら、距離なんて関係ないよね…っ!

 

この記事、恐らく見出しにより絶対先輩は読むだろうという確信がある…。

 

しかし先輩、だからこそぼくは書きますよ。

 

約2年間本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。