🐏のねごと

ここに書いてあるのは大体ねごとだと思ってください。

ぼくたちのカンボジアブームを考える回

こんにちは、メモに記録しているブログネタがもう20個近くになっていて、もう追い付けない気がしているぼくです。

"旬が過ぎた" ネタとか読み返しても、何を書きたかったのか覚えてない…

でも久々に書くと楽しくて、ちょっとまた火が点いたかも知れません。

 

 

それはさておき、先日質問箱にこんな質問?メッセージを頂きました。

なんか長文でメッセージくると嬉しいよね

 

大学生…もう3年以上も前のことだと思うと肝が冷えると同時に、いつまで大学生活に後ろ髪を引かれているつもりなのかと情けなくなりますが、このメッセージを読んだ時に忘れていた大学生活の記憶が呼び起されたというか、ひどく懐かしい気持ちになったので、大学生あるあるの『カンボジアで建築活動に励む人たち』とは一体何だったのかをブログにしたいなと思いました。

いつからそうなのか皆目見当もつきませんが、ぼくが学生の時はやたらとブームだったカンボジア。当時はぼくもこのメッセージをくれた方の様に疑問でした。ていうか今でも、ふと言われたら「な なぜわざわざ~~~」とツェズゲラよろしくツッコミたくなりますね、きっと。

それが連綿と続き、ぼくの様な(恐らく)性格の捻じ曲がった学生を通してぼくの世界に今ひとたびやって来ることには、悔しいですが僅かにも感動を覚えると認めましょう。ぼくの大学生活のどうでもいい、しかし故に大事な思い出…記憶を呼び起こしてくれたことに感謝と敬意を表して、どうして彼らは縁もゆかりもない無いカンボジアで「わざわざ」タダ働きしてまで何かを建築しに行くのかを考えてみたいと思います。

 

あーえっと…、これはぼくの一方的な偏見を書き殴り、何ならほんの気持ちだけ小馬鹿にする内容なので、もし過去にカンボジアで建築してたよ~!という方は気分を悪くされないように。あと匿名だからって質問箱を通してdisりに来ないでね?!

 

さて、きっちり保険を掛けたところで始めましょう。

そもそもぼく、当時も今もこのカンボジアでのボランティア自体には何ひとつ興味が無いので、初っ端から適当なこと言ってたら申し訳ないのですが、これって貧しい開発途上国で十分な教育を受けられない子供たちの為に学校を建てるだとか、綺麗な水が飲めない住民たちの為に井戸を作るだとか、そういった社会貢献活動を通して、最貧国の現状と先進国(笑)たる我が国がいかに恵まれているか、的なことを理解できるし、その過程で貧しい環境の中でも明るく生きる現地の子供たちと触れ合い、国を超えた繋がりを得られる…みたいな感じで、、何かこう、、、感謝するノリで合ってますよね?

 

…流石に的外れ過ぎても恥ずかしいので、ちょろっと調べたら孤児院での日本語を教えるみたいなことも結構あるみたいですね。大体どれも一週間前後の期間で約10万円前後と、海外旅行として考えたら破格の値段でそれが体験できる…と。

 

正直言うと企画そのものに関しては、あまり金銭的に余裕の無い学生が海外経験を求めてバイト代で参加してみるって分には悪くないと思います。

 

でも質問箱にメッセージをくれた人(以下、質問箱さんと呼称)が意図しているのは多分そういうことじゃないと思うので、一旦置いて、恐らく皆さんも「カンボジア」、「ボランティア」と聞いて頭に浮かぶ "あの人" みたいな人たちについて書きますね。

 

質問箱さん、及びぼくとあなたが頭に浮かんでいるのは、「何か特別な理由がある訳でもないのにある日突然宗教に目覚めたが如くカンボジアへ行ったかと思えば、よく分からない正義感と危機意識を持ち帰り、似たような連中とつるんでは啓蒙活動に明け暮れだした意識高い系だったあの人」ですよ。

 

このタイプの人たちが何故カンボジアに行くのか…、思うにそれは、大学生活の中で大層な何かをかたちにしたい、残したいからでしょう。

大学生活の花形?として王道といえば留学・インターン・サークル活動あたりかなと思いますが、これらって何を選んでもそれなりの仕上がりで完成させるためには積み上げが必要なんですよ。カンボジアなので留学に焦点を当てるならば、留学での仕上がりとはざっくり言うと外国語を話せる様になることですよね?その完成度を高めるための積み上げとはその言語の勉強量になりますよね。

能力を外で磨くためには、外で得られるモノの幅を広げるために、中で相応の実力を付けないといけない訳です。ですが、カンボジアへ行くのはこれを怠った人、王道は歩めない、そのレベルに至っていない人たちなんです。そしてそれを本当は自覚していながらも、「ボランティア」の部分に逃げている。

己の善性を免罪符に努力をしない、ということですね。

 

何故そう言えるのか、それは、それこそカンボジアだからとしか言いようがありません。英語でも無ければ大学で選択する第二言語でも無い、鼻くそ程の興味も無いであろうクメール語公用語、つまり自分より明確に優秀な人が少なく競争も起きないジャンルで、何の積み上げが無くても偉そうに振舞える子供たちを対象としていて、責任の伴う仕事ではなくボランティアをわざわざ選んでいるからです。

積み上げが無い人にとってカンボジア×ボランティアは、正に手軽に得られるインスタントの「実績」なんですよ。おまけに安い!

 

質問箱さんも仰っていますけど、本当に善性を備えているのであれば自国で出来ることなんていくらでもあるし、いくらでもサポートすべき欠陥は見えるものでしょう。でもそれらに着目しないのは?それは自分の学生生活で成し遂げたことという観点においてインパクトが強いとは決して言えないからでしょうね。

更に言うならば、彼らはインスタントの実績であるにも関わらず、これ見よがしにそれを誇り拡散しようとする訳ですね。自慢とはまた違うのかも知れませんが、「こんな立派なことをやりました!」とでも言いたげな様子で癇に障るのです。酷い場合には勧誘、もとい善の押し付けをしてくる場合すらありますからね。仲間を増やすことで己の善性を証明したいのでしょうが、これが正に宗教の構図そのものなんですよね。

本当にその経験で価値観が変わったのなら、正義感や危機意識が芽生えたのなら、日本でうだつの上がらない社畜やるよりカンボジアへ羽ばたいて世界を変える日本人として立ち上がれば良いのに、気付けばあの頃啓蒙してた "あの人" って消えましたよね。

 

 

…ということで、調子に乗ってつい凄まじく偉そうな書きっぷりを披露してしまいました。

ここまで書いといて今更ですけど、どんな理由であれ誰かの為になることが出来るのは素晴らしいと思いますよ。やらない善よりやる偽善とはよく言ったものです。

実際、じゃあ実績どうこう抜きにしてお前はやれンのか?と言われたら出来ませんし、むしろぼくは留学や海外インターンを免罪符にそうした「やる偽善」から逃げてるとも言えなくはないですしね。詭弁めいた物言いで扱き下ろしただけの、一番終わってるタイプの人間ですよ。

それに海外インターンなんてかっこつけて言ってますけど、これだって海外の学校で日本語を教えてただけですからね。しかもそれこそ100%己のために。

でも他人に同じと言われたら腹立ちますけど…!

 

質問箱さんが、カンボジアボランティアサークルに冷めた目を向けてしまうのも、そんな自分に負い目を感じるのもこういう考えが同居しているからじゃないですか?

しかしこういう思考って、無限に悪者を作れてしまうので、自分が心地良いスタンスに収まっていればそれで良いのではないでしょうか。己の満足感のため恥ずかし気も偏見を発信する様な、悪辣で品性に欠けるぼくを見て嫌だなと思うのなら心に留めておくくらいが丁度良いんじゃないですかね…

いやほんと…すみませんでした。