🐏のねごと

ここに書いてあるのは大体ねごとだと思ってください。

秘密

たしか高校生の頃に気になってはいたものの、ついぞ買わなかった『おやすみプンプン』が日曜日まで全話無料公開とのことで仕事も忘れて読みました。

ぼくの人生で一番サブカルに触れていたのは高校生の頃なんですけど、その当時はもっと分かりやすい『世界鬼』とか読んでたなぁ。

 

元々七夕の日限定公開と言われて、金曜の朝4時まで読み続けてたら見事に寝坊して14時に起きました。そしたらぼくに全く連絡のつかないことを心配した母親世代の同僚たちが上司に住所聞いて凸してきて本当にびっくりしました。

何の予定も入ってなくて本当に良かったです。

 

で、この『おやすみプンプン』。鬱漫画のカテゴリにおいて傑作と評されているだけあって実際読んでいる途中でストレートな鬱描写は多々ありましたけど、それらのシーンが『おやすみプンプン』を鬱漫画の傑作たらしめているかと言われたらそれは違う気がするんですよね。(あえて言うならば)単純な鬱展開はあくまで物語の骨格なだけで、本質は主人公プンプンに常にまとわりついている、休日の夕方に独りベットの上で居る時にふと湧き上がる希死念慮の様な、あるいは謎の焦燥感と無気力感を同時に知覚している様な、そういう生ぬるい絶望である様に感じました。

 

作品を面白いと思える基準は読み手の感性次第だというのは当然ですが、『おやすみプンプン』を鬱漫画の傑作として楽しめる人は大なり小なりその生ぬるい絶望を抱えている人だと思います。もっと言うと、それを自分自身で日常的に生み出しているかどうかがプンプンの心情理解における分水嶺ということですね。

 

また、この漫画、カタルシスが可能な限り排除されているんですよ。かっこつけた言い方をやめて言うと救いがない。…アレ?なんかこれもかっこつけているような…、まあいいや。つまりその、話の展開として不幸な出来事に折り合いを付けていくことはあるんですけど、プンプンの抱える根本的な陰気さが払拭されることはほぼ最後まで無いです。

しかしそれってつまらない程にリアルで生々しいんですよ。例えば、ぼくや他の誰かがあなたの考え方や価値観の水面をほんの少しだけ波立たせることは出来ても、しばらくするとまた凪いで、何事もなかった様に元に戻るじゃないですか。もちろん関わりを増すごとに少しずつ少しずつ変化していくとは思いますけど、それは変化を自分自身で選択した結果なのであって第三者が変えたとは言えない気がします。

 

ウダウダと書き連ねましたが、要は、日常的に些細な悩みだとか不安、不必要な反芻思考に囚われて休日を無為に過ごしてしまう様な人間は、なまじプンプンの心情にリンク出来てしまうからこの漫画の鬱たる本質を感じ取って、それに「面白い=苦しい」と価値を見出しているのではないでしょうか。

逆にそうでない人、悩みや不安はあっても基本的には自分自身で道を切り拓いていける人にとってプンプンはうざったらしくて仕方ないと思いますよ。

Twitterみたいな掃き溜めインターネットには(ぼくを含めて)プンプン擬きがたくさん居る故に、過剰に絶賛されている気がします。実のところ、こういった人間の思考に延々と付き合わされるのが『おやすみプンプン』なんですよ。とはいえ、そのプンプン擬きにあたる人の全てがこの鬱の価値を理解出来るほど根本的に根暗かと言われたらそうでもない気もしていますが…。

でも話の構成としてやっぱり単純に出来が良いので、そこまで読み取ろうとせずとも面白く感じるんじゃないかなと思います。『おやすみプンプン』を苦しい(面白い)と感じる人と、面白いと感じる人と、つまらないと感じる人の差異ってコレじゃないですかねーってくらいのニュアンスなので。

 

…作中で、プンプンや主要人物は過去に、あるいは現在で致命的な間違いを犯しています。神の視点(読み手)以外には明かされないこともあって、当人だけの秘密になっているものもありますが、意外に多くのことが作中で公になります。

ぼくもブログを始めて、当時の心境を記録したいと思っていますが、やっぱりここには書けないことがたくさんあります。恐らくこの先も。誰にも言えないことがあって、それを言う場面は想像も出来ないし、その場面が来た時に勇気を出して言えるのかも分かりません。言わない方が良いこともたくさんあると知っているけれど、『おやすみプンプン』の中で秘密を明かしたキャラクター達の妙な晴れ晴れしさにはある種の羨望を覚えます。だからこうして、秘密があることを公言するんでしょうね。

 

ていうか、プンプンの心情理解がどうのこうのって、いつからぼくは評論家気取りになったんでしょうかね…。まああくまで感想なので大目に見てくださいね…。